最近、婆ちゃんは せっせせっせとお手玉を作っております。

端切れを手縫いで縫い合わせて、ボタンで飾りを付けて。
なんと眼鏡なしで、針仕事でございます。
88歳なのですが、、。

なんともう50個もできました。
曾孫にあげると言ってますが、
なんぼなんでもそんなにはいらんやろ。(´∀`*;)
今までお世話になった施設さんにプレゼントしようかな?
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とてもとても素敵なお写真で、
思わず感激して涙ぐんでしまいました。
ずっとご病気でおられた奥様が、
晩年を御宅で過ごされた時のお写真です。
お食事時だけでなく、普通にお洋服として
お召しいただいていたというお話を伺っておりました。
この三月の葬儀の際、ご挨拶に立たれたお嬢様が
「珊瑚色のエプロンをつけた母の姿を思い出します」と、仰ったと。
着脱が楽なブラウスとして、
お洋服として、楽しんでほしい、
ずっとそう思ってきました。
ネット受注の際はお客様とお電話やメールでやり取りをするのですが、
いつもそのようにお伝えしてきました。
お客様の中には こちらが願う以上に
楽しんでお召しいただいてる方もいらっしゃって、
そんなお話を伺った時、やってきて良かったなぁと思う瞬間です。
、、肌寒い時の一枚として。
、、車椅子でお出かけの時の外出着として。
、、また、認知機能訓練の為のお料理の時に使用している、というお話も。
ありがたい限りです。
そして今回のように人生で1番大切な時間にお召しいただけるなんて、、、
心から心から感謝です。
ご主人様から、お世話になられたホスピスさんにプレゼントをと ご注文を頂きました。
そんな大切な贈り物に 笑顔音の製品を選んでいただいたなんて 本当に嬉しいです。
このお写真は笑顔音の宝物です。
一度もお会いしたことはないけれど
これから先もずっと私を励ましてくれるだろう奥様の微笑みです。
どんな瞬間どんな時間にも着る人の心を暖かくする、
そんなモノ創りをしていこうと
改めて、誓いました。
*お写真はご主人様の許可を得て掲載させていただきました。感謝
婆「安心してください!履いてますよ!」と、自分の紙パンツを指差して笑いこけとります。
風呂上がりチョンマゲすたいる婆ちゃん♡婆「ひーーーっひっひっ、おかしかぁ〜!あぁっ洩れたぁ〜!
笑わせるけん、洩れたばい〜〜っ、ひっひっひぃ〜!←まだ笑う」
私「ええ〜!洩れたぁ〜ん?お風呂入ったとこやのにぃ〜、
でも大丈夫やで婆ちゃん ( ̄∇+ ̄)vキラーン
安心してください!履いてますやん!^w^」
婆「あぁ〜、もう〜そがん言うたら、ひぃーっ腹が痛いぃ〜、また洩れるうぅ〜!」
ある日の風呂上がりの婆ちゃんでした。
婆ちゃんは先日の転倒事件から歩くのが更に遅くなり、
念のため紙パンツを履くようになりました。
と言っても失敗はほとんどないのですが、やはりその姿は
娘の私の方は見る度切ない気持ちになるのです。
しかし本人は いたって明るく、
ちょっとギャグを教えたらず〜っとこの調子です。
過呼吸になりそうに笑ております。
でもこういう事って受け入れられない人も居てるやろなぁ。
なんで白なんでしょうね?紙パンツ&紙おむつ。
これ紺とか黒とか、花柄とかチェックとかだったら
気持ちも全然違うのになぁ。
どっかオムツメーカーさん作ってくださいよぉ〜
それか、うちとコラボで作りませんか?
お洒落で可愛い紙パンツ( ´艸`)
シニア向けサポートモード・プレタ介護えぷろんの 笑顔音〜えがおん〜
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今日、引き出しの整理をしていたら9年前に亡くなった父が認知症になった時に走り書きしていた詩が見つかりました。思わずたまらなく父に会いたくなり涙。(TT)
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「お父ちゃん、来たよ」
「・・・・・うん。」
父の返事はいつも 少し間を置いて
ゆっくりと 視線を私に向けながら。
「お父ちゃん、また来るね」
「・・・・・・・」
別れはいつも寂しそうに、すがるように
返事もせず見つめたまま。
幼い私を後ろに乗せた自転車を力強く漕いだジャリ道の夕焼け。
両手で挑む私を いとも簡単にねじ伏せて からかうように笑う腕相撲。
お伊勢さんの玉石の参道、足の悪い母の車椅子どこまでもどこまでも押して歩いたね。
遠くに嫁いだ私のところへ何度も車できてくれたね。
まだ少年の頃も大人になっても いつだって家族の為にもくもくと働いてきたね。
ケンカしたって苛立ったって、最後には私の涙の意味をわかってくれたね。
だけどいつしか真面目がゆえの心の石をひとり抱え込んで、だんだんとうつむく時間が長くなったね。
生きることが本当に辛そうだったね。
知ってた?お父ちゃんが辛い時、私も同じに辛かったよ。可哀想で可哀想で。
今はあの頃よりも 幸せな場所にいるの?心は軽くなったの?
時折見せる笑顔は ゆっくりだけど子供のように清らかだね。
元気な内に心の石を 取ってあげることができなかった不甲斐ない娘を許してね。
お父ちゃんの世界には今何があるの?動かない体と時計が止まった心は 私達の向こうに何かを見てるの?
お魚だってご飯粒だって、ひとかけらも残さずに綺麗に食べてたのに、ポロポロとスプーンからこぼれ落ちるのが きっと悔しいだろうなぁ。
でもね。
きっともう毎日が辛くないよね。
神様がタイムマシンを作動して連れてきてくれた幼い心のお父ちゃん。
お父ちゃん、覚えてる?私だよ。
これからたくさん側にいるからね。
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気丈だった父が『本当に惚けたんだ』と理解した時、抱きしめて号泣しました。
自分を納得させるのに時間がかかりましたが、ずっと鬱だったので「楽になったのかな」と思う事でやっと受け入れることができました。うちの場合は母が身障者なので在宅は無理で、ずっと療養型病床に入っていました。私の今の仕事は結局それがキッカケなのですが、製品は父には着せることができませんでした。
この詩を書いた時も、なんやかんやで病院の父を待たせることがいっぱいあって、今もそれは後悔だらけの日々です。会いたいなぁ、お父ちゃん。(;;)
婆ちゃんとお昼のお茶漬けランチを食べながら、ワイドショーをみていると
日本に今、大量に訪れている外国人の話題が流れました。
私『婆ちゃん知らんと思うけど今、大阪市内行ったら外国人ばっかりやねんでヽ(`□´。)ノ、
中国人とか韓国人とか、アメリカ人もやで。←
ちょっとドヤ顔』
婆『ふ〜ん。アメリカ人は優しかもんね。』
私『なんでわかるん?テレビで言うてたん?』
婆『進駐軍のアメリカさんたちゃ、しぃ〜がれっとぉ!っちゅうて、くれよったよ。優しかったよ。』
私『チョコレートとかもらったん?ギブミーチョコレート!言うたん?』
婆『もろたとよぉ〜、いっぱいバラ巻きよらしたよ。優しかったよ。そいばってん戦時中は恐かったよ〜、空襲警報が鳴ったら飛行機がぐるぐる畑の上を周りよったけん、大きな木の影に隠れたっちゃけど見つかったら命は無かねぇ〜と覚悟しよったと。あの時は皆そがん思いよったと。←
けっこう淡々と話す』
婆ちゃんの生家は長崎の山奥のダムを見下ろす位置にある。
文字通り、山の中にあるので人の数も知れている。そんなところにもB29は来てたんだなぁ〜。
もしその時、婆ちゃんが見つかってたら機銃掃射されてたのかなぁ。
そしたら私も今いないかもね。
人から殺されるかもしれないという覚悟って。
一分後、命がなくなる覚悟って。
今のお年寄りはそんな時代を過ごしてきたんやなぁ〜。
だからこそ平和な今を少しでも笑顔で過ごしてほしいなぁ。
婆ちゃんも、ほかの皆さんも。
頑張らなくちゃ!